TSUKUBA FUTURE #029:私たちのプライバシーはどうやってどこまで守られるのか
図書館情報メディア系 石井 夏生利 准教授
忙しい合間を縫って、国際比較やさまざまな判例?事例を参照した<力作の単著のほか、共著、寄稿も多い。
石井さんは25歳という若さで弁護士になりました。しかし弁護士として活動するには社会経験を積むことも大切だと痛感し、弁護士事務所から企業の法務部に移りました。ちょうどその頃は、個人情報保護法案が話題になっていた時期です。コンプライアンス担当だったこともあり、石井さんは個人情報保護をめぐる問題に関心をもつようになりました。研究者に転身以降は、プライバシー?個人情報などの取扱いをめぐる法的諸問題を研究テーマにしてきました。石井さんの説明によれば、プライバシー権として個人に関する情報が保護されるべき根拠は憲法第13条にあるそうです。その条文には、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とある。
個人情報保護法は、誰もが安心してIT社会の便益を享受するための制度的基盤として、2003年5月に制定され、2005年4月に全面施行されました。今年は施行10年目にあたるわけです。ただしこの法律は、個人情報を直接保護するものではなく、個人情報を取り扱う事業者を対象とした事業者規制法です。なので、適切に取得した顧客情報の管理に落ち度がなければ、事業者が法律違反に問われることはありません。個人情報保護法違反があったとしても、監督官庁からの勧告、命令、そして、命令に違反した事業者に対する6カ月以下の懲役または30万円以下の罰金が科される程度です。これまで罰則の下されたケースはありません。それでも、顧客情報などを大量に漏出させた企業のイメージダウンは避けられません。今回のベネッセの事件では、ベネッセが適切に保護管理していた営業秘密がシステム管理を担当する派遣社員によって不正に取得され名簿業者に売りとばされました。ではデータを不正入手した容疑者はどのような罪に問われるのでしょうか。じつは、不正競争防止法違反という別の法律に問われるのみなのだそうです。
プライバシー?個人情報の侵害に関する事態は複雑化している
個人情報に関する各国の取り組みはそれぞれです。政府の介入を嫌うアメリカは自主規制が原則とのこと。アメリカには大手の情報ブローカーが9社ほどあり、個人情報データが公に取引されています。法律で規制するより、盗品とわかった場合は市場から締め出せばよいという考え方もあります。巨大なネット企業もそれぞれ自主的な運営が許されています。それに対してヨーロッパの国々は理想主義的な制度をつくる傾向があるのですが、逆に厳格な実施に難があるのが実情なのだそうです。IT技術の急速な発展とグローバル化の進む社会の動きはあまりに早く、法律ですべて対応することはできません。たとえば話題のビッグデータ。どのように集めてどういう解析をしてどう使うかという企業の目論見と、個人情報保護との兼ね合いは、法律の改正で抜本的に解決できる問題ではないと、石井さんは語ります。それと同時に、個々人の情報リテラシーも問われる社会になっています。
村社会的構造が特徴だった日本には、プライバシーという概念はもともとはありませんでした。プライバシー概念は、社会が欧米化したことで輸入されたものです。プライバシー保護は法律にはなじまないため、法制度的に中立なものをつくった上で、第三者機関(個人情報の監督機関)を設けて法執行を担わせることで対処する方法が取られます。個人情報保護法の特別法として2013年5月に成立したマイナンバー法では第三者機関として特定個人情報保護委員会が設置されています。この委員会は、個人情報保護法の改正によって、マイナンバー法だけでなく、個人情報の取扱い全般を監督する予定となっています。改正がなされると、個人の特定性を低減させることで個人に関する情報を使いやすくするための加工方法について、さまざまな利害関係者が多様な議論を重ねた上で、その結果を踏まえて第三者機関に認定してもらうという方針が取られるようになります。
これまでも、プライバシーや肖像権に関する基準は、侵害訴訟の判例の積み重ねでつくられてきました。しかしネット社会の登場により、新たな問題が次々と出現しています。たとえば、知られたくない過去の情報を雑誌の記事などでほじくり出されて公開された場合は、筆者と出版社が訴訟の対象になりえます。それに対して、特定の個人情報を集めて電子掲示板でさらし者にすることも侵害行為となりえますが、その場合、誰を罪に問えばよいのでしょう。匿名の複数の個人というわけにいかないとしたら、掲載を容認したプロバイダーなのでしょうか。法律の制定と運用にあたっては、目先の問題に目を奪われることなく、事象を大局的にとらえ、情報をめぐる世の中の動きに常に注目し、国際的な動向にも目配りすることが重要です。個人情報保護の分野では、法解釈学が主流であった法学研究から、立法政策としての法学研究へと変わってきています。個人情報保護法の制定に際しても、法学研究者が関与し、重要な役割を果たしてきました。新しい問題に対処しなければならない分野では、立法府がつくった法律の解釈を法律家が考えるという従来のやり方では対処できなくなってきた証なのでしょう。
今回のベネッセ事件では多数のメディアからの出演?コメントの依頼をクールにこなした。
颯爽とした弁護士や検事が活躍するドラマが人気です。しかし現実の社会では、弁護士が依頼者に肩入れするのは危険です。依頼者にとってベストの選択肢は何かを探すのが弁護士の役割だというのが、石井さんの考えです。確固たる信念は必要ですが、必要以上の肩入れはせず、一歩引いたスタンスで処理するべきだというのです。社会が多様化し、動きが加速する中、個人情報を専門とする数少ない法律家の一人として、石井さんの活躍への期待が高まっています。
文責:広報室 サイエンスコミュニケーター